もう一つの舞台

5作目『沼地方の無法者(Coot Club)』と9作目『六人の探偵達(The Big Six)』は舞台を湖水地方からノーフォーク・ブローズ(湖沼地帯、The Norfolk Broads, The Broads)へ移しています。D姉弟と地元の子ども達が主人公で、ツバメ達もアマゾン達も登場しないこの二作は、サーガのもう一つのキャラクターとなっており、「湖もの」とは違い実在の場所や地名がそのまま登場しています。
A good nursery for sailing is the North River. - the boatman
 (Ransome, Arthur. Coot Club. p.26. Cape, 1934) 

 


ホーニング船着場


ロクサム(Wroxham)からビュア川(River Bure)を下ったところにあるホーニング船着場(Horning staithe)の昔の写真を見ると、ランサムが描くイラストそっくりなのが良く分かりますし(これは逆)、今もこれとたいして変わってはいません。上流に向かって右に船着場、ここには無料で24時間まで船をもやうことができます。ずっと奥の白い壁が「白鳥亭(Swan Inn)」、この前はパブのお客さん専用の船着場です。ビュア川はここで左へ約90度曲がり上流のロクサムへと続きます。

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ホーニング船着場.old post card, circa 1930)
 

ランサムのイラストそのままのたたずまい.「死と栄光号」をスケッチする提督と犬のウイリアムがいても なんの不思議もない.

こんな素敵なヨットにも巡り会える、クリンカー張りです

白鳥亭、建物はランサムの頃と同じように見える

「白鳥亭、Swan Inn」、物語を読んだ子どもの時には「亭」とはいったいどんな種類のお店なのか想像もつきませんでしたが、英国ならどこにでもある「Inn」つまり一階がパブ、二階が(安い)宿屋のことですね。その窓にはまっていた板ガラスです。アンバーのガラスを通して電球の明かりが漏れてきて、波の上で踊っているような沢山の帆船がキラキラ輝いています。いつ頃のものなのか分からないけれど、ランサムもこれを見たでしょうか。

ブローズの中心地ロクサムに比べると遙かにこぢんまりしたホーニング。そのLower Street。船出の朝、ティーゼル号に乗ろうとポートとスターボードが船着き場まで走ったのはこの道です。

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ブローズ(The Broads) 

303平方キロメートルにおよぶ「ノーフォーク・ブローズ国立公園」、ここは海抜がたった12mにしかならない平らな土地で、総延長200kmにおよぶ航行可能な川と沼からできあがった船乗りと水鳥にとっての天国です。羨ましいことに、いたるところでクラシックな木造ヨットを見ることができます。

お気楽な旅行者には気づきにくいことですが、この広いブローズの維持管理にはかなりの人手がかかっているようです。農地から流入する土砂で埋まる水路を浚渫する必要があるそうですし、ボートの引き波によって川岸が削られ崩れ落ちるのを防ぐために、板や丸太を打ち込んでいく護岸作業も欠かせないそうです。ブローズのあちこちにこのための丸太が沢山積まれているのを見かけます。

ビュア川


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Sailing in the Broads, old postcard/1910

ビュア川で航行可能なのは下流のヤーマス(Gt. Yarmouth)から上流のコルティシャル(Coltishall)水門までの流域ですが、1930年代にはさらに上流のアイルシャム(Aylsham)まで航行することができました。この間、44.5マイル(71.2キロ)、ただアイルシャムとロクサムの間には三つの水門と橋がいくつかあったそうです。ビュア川の流れはランサムの本の扉絵で見ることができますが、ホーニングからの実際の距離は次の通りで、「ティーゼル号」の旅がなかなかの大遠征だったことが分かります。(旅行案内書から拾った距離ですのでマイルはNMではないと思います)

Horningを起点とした距離​

    マイル キロメータ
  Aylsham 22.00 35.20
  Coltishall 11.00 17.60
上流へ Wroxham橋 4.50 7.20
  Horning    
下流へ Horning Ferry 1.50 2.40
  Ranworth Broad入口 3.25 5.20
  Ant川合流点 4.50 7.20
  South Walsham Broad入口 4.75 7.60
  Thurne川合流点 7.25 11.60
  Potter Heigham 11.00 16.80
  Acle橋 10.50 17.60
  6 Mile House 16.25 26.00
  3 Mile House 19.75 31.60
  Yarmouth 22.50 36.00
  Beccles橋 45.50 72.80

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


フェリー


第7号の巣を守ろうとすぐ上に係留した「マーゴレッタ号」までトムが古い「ドレッドノート号(Dreadnought)」を漕いで行く途中、ホーニング・フェリーの所でジョージ・オードン(George Owden)に目撃されます。

物語を読んだとき、このフェリー(ferry)と言うのがどうもピンと来ませんでした、車を乗せるフェリーしか思い至らなくて。ホーニング・フェリー(Horning Ferry)は今でも夏の間だけ運行しています、と言ってもほんの20mくらいの川幅を渡してくれるだけですが。その様子はランサムの挿絵(Ransome, Arthur, Coot Club. p.51 Cape, 1934)でも、また古い絵はがきでも良く分かります。そばの「Ferry Inn」は今もパブとしてそこにありますが、第二次大戦時空襲の直撃を受け、絵はがきに見る昔の建物は今は残っていません。 

ロクサムから下(しも)へヤーマスまでの間で道路が川をまたぐのはたった一カ所、エイクル橋だけです。ですから、古い地図を見ると五ヶ所のフェリー(渡し場)が記載されています。土地の人が「フット・フェリー(Foot Ferry)」と呼んでいましたが、この渡し、きっとブローズの人にとっては大事な足だったのでしょうね。

Horning ferry, 大戦前, old post card

Horning ferry, 大戦後, old post card

A. Heaton Cooperの描くHorning Ferry. 下流を眺めて,左に Ferry Inn.1919年9月27日の作品

ランサムが遊んだブローズ


1909-1930年の古い絵葉書から、当時のブローズの様子をご覧下さい。

Wroxham Broad
ビュア川のボート・センターとでも言うべきロクサム(Wroxham)から1.2マイル(1.9キロ)下ったロクサム沼への入口。ほぼ1マイルの長さがあるこの沼の平均水深は2m。1939年設立のNorfork Broads Yacht Clubはここに本部を置いています。

Wroxham Broad
1901年にはこの沼の南でMr. John Nuddが英国記録となるパイクを釣り上げ、その剥製はHorningにあるNew Innのバーに飾られていました。

Ranworth broads
Horning村から下流へ行くと左側に聖ベネディクト僧院(1020年)の廃墟があり、さらにその先、Horningから3.25マイル(5.2キロ)のところにRanworth broadsとMalthouse broadsへの水路が伸びています。向かって右側がRanworth broadでここはNorfolk Wildlife Trustが所有する保護区なので立ち入りはできません。左側がMalthouse broad、ランサムがランワース沼と呼んでいるのはこの沼です。その奥には聖ヘレンズ教会がその塔を見せています。 

Potter Heigham Bridge
Horningから11マイル(17.7キロ)、Thurne川を北へいったところにあるポター・ハイハム(もしくはハイアム。地元の人に聞いたらHamと発音すると言っていました。ポッターヘイガムと発音したら英国の友人に「ナオト、Gは発音しないのよ」と大笑いされた)には道路と鉄道の二本の橋があります。石造りの道路橋のクリアランスは2.03m、幅は6.4m、古い橋の多くがそうであるようにこの橋も川と直角に架けられてはいません。潮汐と風向きに注意し、マストを倒してもここをくぐるのは易しいことではありせんので、現在はパイロット(水先人)を雇うように勧められています。

Acle Bridge
ヤーマス-ロクサム間でただ一つのこの橋はHorningから10.5マイル(16.8キロ)下流にあり、ヤーマスまでの中間点です。三つのアーチを持ったこの古い橋はその後コンクリート製のアーチが一つの橋に架け換えられ、1997年にはそれも取り壊されて新しい橋に代わっています。

オオバンの夏

パブの庭に出てぼーっと川を眺めていますね、するとどこからともなく水鳥が寄って来るので、かじりかけのパンなどを放ってやるともう大変。あちこちからいろんな鳥が集まってきてしまいます。特にブローズに定住している鳥たち、たとえばオオバン、マガモ、ハクチョウなどは本当に人を恐がりません。船で川を航行していても、オオバンが何かくれないかと船のあとを追いかけてきます。航行速度が時速5マイルに制限されているとはいえ、やはり船の方が速いですから追いつかないのですが、時には必死に水の上を走ってきたりするので(オオバンには水掻きがない)思わず笑ってしまいます。 

このオオバン、日本のマリーナでも冬鳥として見られます。オオバン(coots)はランサム・ファンにとっては特別な鳥でしょうけれど、でもロンドン中心部グリーンパークの池にだっているんですよね。ちょっと拍子抜け。

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夏にはカナダガン、エジプトガン、カンムリカイツブリ(この渡り鳥は警戒心が強く、川で姿を見かけることはありますが、近づくのは難しい)などの渡ってきた夏鳥の姿を見かけましたし、ハイイロガン、マガモ、コガモ、バン、オオバン、アオサギ、ユリカモメ(日本のユリカモメと違って繁殖期は頭部が黒)を見ることができました。大きなアオサギがその長い足でゆっくり歩いていくのを見たときには、思わず息を止めてしまいました。でも川の向こう岸、倒木の上にじっと首を曲げて川面を見つめているアオサギをみつけて、少しは動いてくれないかと30分も川を挟んで待っていたときには、こちらの方が根負けしてしまいました。(ローレンツの)ハイイロガンも、実物の群れがパブのお庭で寛いでいるのに近づいていき、ほんの数メートルの所でじっくり見ることができました。

この季節、どの鳥も雛を連れていて、ほのぼのとした光景に出会えます。ホテルのそばの小さな沼に住んでいたオオバンの家族にも三羽の雛がいて、親が水草をつまんでは与えているところを見せてくれました。
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