コニストン湖

長さ8.7km 幅800m 水深56m。島が二つ、かつてはThurston WaterあるいはThurston Mereと呼ばれるコニストン(Coniston)の名の由来はヴァイキングの言葉 Conyngestun、「王の農場」の意。ただ一つの流出河川はクレイク川(River Crake)9km下流のグリーノッド(Greenodd)で海に注ぐ。
"There isn't a lovelier place in all the world." - Dorothea
(Rnansome, Arthur. (1943). "Picts and Martyrs." p.26, Cape.)

Coniston Water

むかしむかし、ノルウェイ王Harald Fairhairの圧制を逃れて西へ船出したヴァイキングのなかにBiornと呼ばれる男がいました。その息子Swein Biornsonは、西暦890年Harald王がブリテン島西方の島々に攻め入ったとき、マン島(Isle of Man)へ逃れ、さらにブリテン島本土のクレイク川河口グリーノッドに移り住みました。Sweinにはアイルランドのヴァイキングの娘Unnaとの間にThorstein(トルシュタイン)という名の息子がいました。やがてThorstein Sweinsonはクレイク川を遡り、未知の山々へ分け入りその先に美しい湖を発見するのです。

これが探し求めていた湖なのか?・・・トルシュタインが左手の木に登ってみると、目の前には湖が広がっていました。木々の向こうには青い湖面がひろがり、その中ほどにぽつんと島がありました。(Collingwood, W.G. (1895). "Thorstein of the mere; a saga of the northmen in lakeland."  p.60. LLANERCH ENTERPRISES. revised edition in 1909, reprinted in 1990) 

この「トルシュタインの湖」こそ、ドロシャが「世界中でここより素敵なところはないわ」と言い、ランサムが愛してやまなかったコニストン湖です。

  • Water Headから南を眺める:盛夏
  • Water Headから南を眺める:初春
  • 西岸高台から眺めたコニストン湖 東岸に点在する屋敷が見える

The Old Man of Coniston

世界第二の高峰カンチェンジュンガ(当時。現在はK2峰)、標高803m。

この山を中心とするコニストンの高地(Coniston Fell)では、 ローマ時代から銅の存在が知られていたそうですが、その開発は17世紀(エリザベスⅠの治世)に アウグスブルクの鉱山会社、Company of Mines Royalによってなされました。会社はコニストンで140名ほどの鉱夫を雇っており、高地で採掘された銅、鉄鉱石は橇や馬車で麓までおろされ当初はケズウィックへ運ばれていましたが、その後は湖畔で精錬され、そして船で湖尻まで運ばれたあと海に近いアルバストン(Ulverston)へ荷馬車で運ばれていきました。当時、湖は汚染され魚の数は激減したとのこと。80年にわたって続いたこの会社は、当初の目的であった金、銀を発見できないまま解散しました。

銅の採掘は終了したものの、19世紀には豊富なスレートの地層が開発され、Mandalls' Slate Companyは最盛期には400人もの鉱夫を雇い、村の高台には彼らの家が並んでいたそうです。

Barbara Collingwood(コリンウッド家)の夫Oscar Gnosspeliusは1929年に銅鉱脈を再発見し、コニストン銅山の再開に奮闘しましたが、実を結ぶことはありませんでした。この時のお話は第6作「ツバメ号の伝書鳩」で読むことができますし、じっさいこの本はOscar Gnosspeliusに捧げられています。


Coniston Old Station

現在コニストンへは車で行くかウィンダミアまで鉄道を利用するかです。オクソンホルムでウィンダミア方面へ乗り換え、車窓から湖が見えるかと期待しましたが叶いませんでした。でも物語の中でティティとロジャは汽車の窓から外を眺めて、こう叫んでいます。

『あっ、湖!』(第6作「ツバメ号の伝書鳩」冒頭)

かつてはコニストンまでの鉄道がありました。駅の跡は駐車場と倉庫、住宅になっており、駅舎も線路も全て撤去されたため昔の面影をしのばせるものはまったく残っていません。

1859年に開通したこのFurness Railwayは、最初は山で産出するスレートを運びましたが、その後観光客を運ぶようになりました。1920年代には、一日7本あった汽車が着くと何百人もの観光客が5軒のホテルがあった村へ、そして同じ鉄道会社が運営する蒸気船「Gondora」と「Lady of the Lake」の待つ湖へと急ぐのが見られました。

  • 桟橋でのゴンドラ、old post card
  • 桟橋でのゴンドラ

ちなみに14馬力の蒸気機関を備えたこの蒸気船ゴンドラ、今はBoating Centerの桟橋からPark-a-moor桟橋の間を航行していますが、今世紀初頭には北端のWater Head Hotel桟橋から湖尻のLake Bankまでの航路を走っていました。船長Capt. Hamillの記憶では25年間でたった2日しか欠航したことはなかったとのこと。それは1903年の雨の多い夏のことで、増水のため桟橋が水没してしまったのだそうです。

ロンドン、ユーストン(Euston)からコニストンへ向かう南回りの旅はまず汽車でランカスター(Lancaster)のすぐ先カーンフォース(Carnforth)まで、ここで海岸沿いを行く線に乗り換え、アルバストン(Ulverston)を経由して、海岸の街フォックスフィールド(Foxfield)へ。さらにここでコニストン支線に乗り換え谷を登っていきます。ブロートン(Broughton)、ウッドランド(Woodland)、トーバー(Torver)の駅を経てコニストンまで25分の汽車の旅でした。

鉄道会社の計画では、路線はコニストンからさらにアンブルサイド(Ambleside)を経由してウィンダミアまで伸びる予定でした。しかし山中の難工事が予想されたこと、スレート需要の落ち込みと車の普及で-すでに1926年には26席のワンマンバスがコニストンから谷を下ったアルバストン(Ulverston)まで走っていました-1958年に鉄道は観光客には閉鎖され、1962年に廃線となりました。

トーバーを過ぎたあたりから車窓右手に湖を見ることがきたでしょう。これに乗ってコニストンを訪れたかったですね。

  • コニストン駅 Yewdale Hotelの許可を得て撮影
  • コニストン駅 Yewdale Hotelの許可を得て撮影

Tent Lodge

コニストン湖東岸の北端、湖までの緩やかな斜面に点在する屋敷の一つ。アマゾン達の家「ベックフット」のモデルの一つと思われます。

ホルト家の一人娘エマ・ホルト(Ennma Gergina Holt, 1862-1944)は1884年からここに住みました。このテント・ロッジへはポター(Beatrix Potter/ Mrs. Heelis)もホークスヘッド(Hawkshead)からの山道を歩いてお茶にきたことがあります。その外観はランサムが描くところの「ベックフット」に大変良く似ており、窓の数から外壁にバラのトレリスがあるところまでそっくりでした。

  • 湖から見たテント・ロッジ
  • テント・ロッジの前を遊覧船ランサム号がゆく
  • テント・ロッジ

The Lanehead

1891年以降コリンウッド(W.G. Collingwood)がホルト家から借りていた屋敷です。ここに住んでいた彼の子供たち、ロビン(Robin)、ドーラ(Dora)、バーバラ(Barbara)はランサムと同年代で、彼らとの交流は長く続きました。ランサムは求婚したバーバラに、自著「Old Peter's Russian Talles (1916)」を捧げています。またドーラの子供たちと過ごした夏の出来事が「ツバメ号とアマゾン号」誕生のきっかけになったことは良く知られるところです。

芝生を下った先には桟橋があり、そこには「初代ツバメ号(物語の中のツバメ号の名前の由来となった別の船)」がもやってありました。1904年、20歳のランサムはこの船でコニストン湖を帆走しました。

1969年から建物はMiddlesbrough(東海岸の都市)が所有し、「課外教室(outdoor education centre)」として使われています。スクール・プログラムの一環として、学期中に24名の生徒が一週間ここで過ごすのだそうです。

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バンク・グラウンドから見上げたレインヘッド、4人の孫たち(物語の中ではジョン、スーザン、ティティ、ロジャとなった)はこの坂道を上り下りし祖父の屋敷と滞在していた宿の間を行き来していました。

  • コニストン湖東岸に建つレインヘッド 右下にバンク・グラウンド
  • レインヘッド
  • レインヘッド

Bank Ground Farm(Cottage) 

ウォーカー家の子ども達(ツバメ達)が滞在するハリ・ハウのモデルとなった建物(Bank Ground Farm/Cottage)です。アルトゥニアン家が1928年から1929年にかけて滞在していた場所で、当時の農場の所有者はMr. Jolly。

L字型の建物の一部はBank Ground Farmとしてお客を泊め、また一部はBank Ground Cottageとして貸別荘になっており、ここはスミス家が借りていました。クリフォード・ウェブのイラストには建物の様子がはっきり描かれています。湖に面していたのはコテッジの方のドアです。

  • コニストン湖西岸から見たバンク・グラウンド(右下)その左上にレインヘッド
  • バンク・グラウンド
  • バンク・グラウンド

Brantwood

ラスキン(John Ruskin, 1819-1900)晩年の屋敷。1871年にラスキンはここを£1,500で買い取り、£4,000かけて古いコテッジをマンション(邸宅)に改造しました。ラスキンはここを「コニストンで一番眺めの良いところにある」と聞いて見もしないで買ったそうですが、それも納得できる場所に建っています。西を向いた屋敷の窓からは湖が見おろせ、その向こうにはオールドマンを一望できます。

挿絵画家、絵本作家として知られるケイト・グリーナウェイ(Kate Greenaway)はラスキンから何度もブラントウッドを訪ねるようにと請われていましたが、その招きに応じてここを訪れたのは1883年4月10日のことでした。ロンドンからの汽車そしてウルバストンから15マイルの馬車の旅で疲れはてて着いたそこは、山を望む静かな湖畔でした。

  • ブラントウッドのお庭からはこの眺め
  • ブラントウッドを訪問したゲストの写真、手前から二人目がKate Greenaway(管理者の許可を得て撮影)
  • 湖を背景にブラントウッドの庭で踊る少女達:ブラントウッド訪問後のKate Greenawayの作品(1885)

Dog's Home/Kennel

ブラントウッドから南へ湖岸の道路を1.5kmほど行くと、グリズデイルの森(Grizedale Forest)に続く深い森へ入っていくフットパスがありますが、これを15分ほど登ったところに石積みのあばら家があります。これがDog's Home/Kennelです。

最後の湖ものとなった11作目「ピクト人と殉教者」の中で、都会っ子のディックとドロシャはここでピクト人のように人目を忍んだ森の生活を余儀なくされます。周囲は急勾配の深い森で、少し離れたところには小川がコニストン湖まで急な流れとなっています。

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室内にある暖炉。嵐の夜、ここでディックとドロシャはウサギのシチューをことこと煮て、この前でナンシイは濡れた水着を乾かした。

  • 犬小屋
  • 犬小屋
  • ただひとつの窓から外を眺める

The Heald

ランサムが1940年に東海岸から疎開してきて、1945年まで暮らした家。「犬小屋」からさらに500mほど南へ下ったところ、Fir Island(モミの木島)のあたり、道路からすぐの所に建っています。戦時中のことでもありランサム夫妻はここでの生活に相当な不便をしたようですが、でもすぐ近くには木の桟橋があり、そこに東海岸から持ってきたお気に入りのディンギー「Cochy」をもやう事が出来ました。

ここに住んだ間に10作目「女海賊の島」と11作目「ピクト人と殉教者」が書かれました。


Peel Island

ヤマネコ島のモデルの一つ。Water Headから約6km、湖をほぼ3/4南へ下ったところ東岸近くに浮かんでいます。その姿はランサムが描くイラストそのままで、南側には岩に囲われた秘密の港が隠れています。すぐ南にある水遊びに格好の浜辺や牧草地も含めて、ナショナル・トラストの管理所有となっています。

  • 西岸からポツンとピール島
  • 南側から見たピール島

Oxen House

ピール島の対岸,川がコニストン湖へ流れ込むサニー・バンク(Sunny Bank)にある屋敷。水際まで続く芝生と高い庭木、そしてボートハウスが「ベックフット」の様子に良く似ています。


Heaton Cooperの描くコニストン

ヒートン・クーパー(W. Heaton Cooper, 1903-1995)とその父A. Heaton Cooper(1863-1929)は湖水地方の風景画を得意としました。父は1905年にコニストンにスタジオを構え、そこで育った息子も水彩画を専門とする画家になりました。父A. H. Cooperの絵の入った「The English Lakes」、息子W. H. Cooperの湖水地方についての本「The Lakes」には美しい湖と山の絵が沢山納められていますが、その中の一葉、コニストン湖を南から描いた W. H. Cooperのスケッチにはピール島を背景に帆をはったヴァイキングの船(?)が描かれていて、それはまるでコリンウッドの作品「Thorstein of the mere」の一場面のようです。

  • A.Heaton Cooperによる湖から見たブラントウッド, (1905)