S&G工法

''Stitch and Glue'' method(英国では''Stitch/Tack and Tape'' method) スティッチ&グリュー(縫い合わせて接着、さらにファイバーグラステープで補強)工法。いずれにせよ、恐らく最も簡単で大がかりな道具もいらず、手間もかからない木造ボート製作方法

昔の木造ディンギー

ランサムが所有していたこのディンギー、コキー(Coch-y-bonddhu、愛称コキー(Cochy)、スカラブ号のモデルになった船)は1934年に伝統的なクリンカー張り(clinker built、鎧張り)で造られました(1997年英国ウィンダミア 蒸気船博物館で撮影。現在はWindermere St Anne's Schoolに保管されていると学校のサイトで以前読みましたが、現在のサイトにはこれについての記述は見つけられない)。

船殻構造は

  • 背骨のように船底を船首から船尾まで貫くキール(竜骨)
  • 内側に沢山見える肋骨のようなフレーム(肋材)
  • 船首から船尾まで走るストリンガー(縦通材)
  • 船体左右の舷に渡されたスォート

からなり、そこに

  • リベットで留められた幅10cmほどのプランク(外板)

でハル(船殻)を造っています。いずれの材も(この船では)スプルースですが、ファー(米松)やマホガニーも使われたでしょう。現在のように丈夫で薄い合板や強力な接着剤がなかった時代、ハルの微妙なカーブを出すための方法が細長い板を少しづつ重ね合わせていくこのクリンカー張りでした。FRP/GRP(繊維強化プラスチック)製の船のように滑らかなカーブは出ず、デコボコした外観になりますし、艇重量は重く、メンテナンスも大変、そして製作には随分と技量が必要だったことでしょう。このように伝統的工法で木で船を造ろうとすれば(丸木船はさておき)、キール(竜骨)、フレームそしてストリンガーなどで構成される骨組みに外側からプランク(外板)を留めていくことになります。釘やネジで留めるか、リベットで留めるか、いずれにせよ伏せた状態の骨組みに板を張りハル(船殻)を造っていきます。

S&Gによる現代の木造艇

薄く強度のある合板あるいはベニア(薄板のこと)とエポキシの登場により、こうした骨組みを必要とせず合板あるいはベニアだけで船殻を造り、それをエポキシで防水・補強するという工法が考案されました。その一つがS&G(Stitch and Glue)工法です。まずカヌー製作で使われたそうですが、これを最初に自作ディンギー製作に応用したのが、かのJack Holt設計(1962)Mirror Dinghyだと言われています。

また1969年にカナダのGougeon Brothersは、木造艇建造へのエポキシ利用をまずアイスヨット製作に応用し、その後トリマラン、大型クルーザーへと発展させていったとWest SystemのHistory Pageに書かれています(Meade Gougeon. (2005)The Gougeon Brothers on Boat Construction. 5th Edition. Gougeon Brothers, Inc.)彼らの現代工法によるアイスヨット、『北極』へ向けて帆を張った橇で疾走したディックとドロシアが見たらなんと言うでしょうねぇ(Ransome, Arthur. (1933) Winter Holiday. Cape. p.295.)。

さて、S&G工法による木造艇製作の概略は以下のようです。写真はカヤックの船首と船尾部。V字のボトム・パネルと向こう側のサイド・パネルを銅線で縫い合わせているところです。

  1. 左右2枚のボトム・パネルを縫い合わせ、本のように開くとV字型の船底が出来上がる
  2. それにサイド・パネルを縫い合わせる
  3. これでシングル・チャイン(ハード・チャイン)のハルの出来上がり

ご覧のように、ハル(船殻)の形状はねじ曲げられた合板パネルの形状そのもので、パネル同士は1.2mmの銅線により縫い合わされています(タコ糸やテグスでは強度的に持たないでしょう)。こうして形作られたハルはエポキシで接着したのち、フィレッティングし(厚いエポキシで溶接するイメージ)、接着部をさらにファイバーグラスで補強し、ハル全体をファイバー・グラッシングすると木/エポキシ複合材(composite)によるモノコック構造が出来上がります。キール、フレームが無くても軽量で堅固な艇体を作り上げることが可能です。

この現代的工法については、伝統的工法やそれ以外の現代的工法とを比較しそれぞれの特徴を述べたボート設計家Paul Fisherの記事に良くまとめられています。

Can use low cost materials, requires low skills and only basic tools. The quickest, cheapest and easiest form of construction. requires the use of epoxy joins which can be messy.Good for lightweight hulls. (Selway Fisher. BOAT BUILDING METHODS FOR THE HOME BOAT BUILDER.)

欠点(?)

板を張りハルを形成するためのモールド(型)を必要としない(水平な作業船台すら必要とはしません。やろうと思えば床にころがしたまま製作することだって可能です)ため、1艇しか造らないアマチュア・ボートビルダー向きの工法と言えますが、ラウンド・ハルを造るのは不可能ですから、どうしてもハル形状はシングル・チャインかマルチ・チャインになります。もっともパネルの数を増やせば(片側6枚のパネルでマルチ・チャインとし、滑らかなカーブを形成している船もあります)見た目のカクカク感は少なくなりますが。どうしてもラウンド・ハル(丸い船体)じゃないとダメというのでなければ、これほど手軽に船を造れる方法はないのではないでしょうか。それにV字型ハルやチャイン・ハルにはラウンド・ハルにはないメリット(波を切る性能、復元性能など)もあるわけですし。

参考書

S&Gで木造船を造ろうとした時のお勉強になる本、サイトなどをご紹介します(順不同)。どの設計者・製作者そしてそれぞれの船にも意図・思想がありますから、参考にするにしてもあまり堅苦しく考えない方が良いのかも知れません。

  • Chris Kulczycki著 久保正夫・上田洋訳『新版 カヤック工房』舵社 2007.原書はChesapeake Light Craftの前オーナーが著した本で2000年に出版されています(今はKindle Editionもある)。S&Gによるカヤック製作の「完全製作マニュアル」と謳っている通り、精読すれば(多分)未経験者でも製作可能でしょう。ただ載っている船は設計としては新しいものではありません。
  • 八木牧夫著『シーカヤック自作バイブル』舵社 2010.この本を参考にカヤック作ったという方もいらっしゃるはずです。友人曰く「3万円では出来なかった」そうですが。『バイブル』と銘打っている通り少し主張が強いですし、エポキシを希釈して使うなど肯けない箇所もあります。きちんとした設計図(セクション図)から部材を起こすのではなく、合板の曲げ具合で船腹のカーブを出していくやり方なのでアマチュアにとってはなかなか魅力的です。こうした船形がお好みならば大変参考になるでしょう。
  • Paul Fisher. (2009)  Stich & Tape Boat Construction.  Selway Fisher Design.英国を代表するボート設計者の一人によるS&G工法(英国なのでStich&Tapeとなっているが)に特化した木造艇製作参考書です。ご自身が若いときから実際に船を造っていらっしゃるためその内容は大変実際的であり有用。「使用する木材」から「浮力体の配置」までその内容は木造艇製作を網羅しています(英国風表現が分かり難いけど)。Selway Fisher Designから入手できます。
  • Russel Brown. (2009) Epoxy Basics:Working with epoxy cleanly & efficiently 米国で木造艇キット販売も手がけている筆者(Port Townsend Watercraft)の手になるもっぱらエポキシ作業についての小冊。タイトル通り「汚さず効果的にどうやったらエポキシ作業が出来るか」を述べた本で、その船の仕上がりは羨ましい限りです。こんなに美しく木とエポキシで船が造れるのかと感嘆してしまいますし、そのテクニックをぜひ身につけたいものです。カヤックや木造艇製作の参考書ではありません。Meade Gougeonによる推薦文曰く「wood/epoxyのポテンシャルを最大限発揮するとなれば、知りうる最高の製作者の一人」だそうです。
     
  • Samuel Devlin. (1995)  Devlin's Boatbuilding: How to Build Any Boat the Stitch-and-Glue Way.  International Marine/Ragged Mountain Press.  米国ではこうしたhow-to本が沢山出ていて、そのうちの一冊。米国西海岸ワシントン州に工房を構えるS&G工法のパイオニアに一人によるものです。合板によるボート製作における木材の選び方、エポキシについての解説など基本的なノウハウとハウツーが分かり易く書かれています。クレイドルに乗せて製作するなど工法はとても丁寧なものです。
     
  • John Brooks. (2003) のこの本はGlued Lapstrakeという工法の船を造るための入門書で初心者向けに書かれているとのこと。この工法を試みる予定がないので読んだことはありませんが、英国雑誌の書評では初心者にお薦めとのことでした。
  • Vaclav Stejskal. (2002)  Stitch & Glue Sea Kayak.  One Ocean Kayaks.  カヤック設計・製作者によるS&G工法の実用的ハンドブックと言えます。ブログ、サイト、書籍などを読んでも分からない実際的な詳細まで書かれていて大変参考になりました。合板やエポキシの経年変化や使用比較などにも言及されており、大変信頼性が高く感じます。サイトにも一部が掲載されており、そこから注文できます。
     
  • Meade Gougeon. (2005)  Gougeon Brothers on Boat Construction: Wood and West System Materials. (5th edition)   Gougeon Brothers Inc.  エポキシを接着・補強など様々な用途に使用する現代的工法の先駆者による大著、いわゆるハンドブックです。カバーする範囲は大変広いのですが「ビス留めの際にエポキシでビス穴を防水する方法」といった細かな実用面の記載もある。書名にあるWest SystemWood Epoxy Saturation Techniqueの略だと言われ、板にエポキシをペタペタ塗り浸潤させ強度と防水を図ることだと誤解されている(浸透厚はたかが知れていますから)そうですが、West Systemの語はもっぱらエポキシ製品の登録商標として使われているのみです。
  • The Epoxy Book. by System Three.  その名も「エポキシ・ブック」というSystem Threeが刊行しているエポキシとエポキシ作業に関する50ページのマニュアルです。S&Gで船を造ろうとするときには必読と思われます。サイトから最新版(2006年版)をダウンロードできますが、日本語版(永瀬浩範氏による訳、2002年版)をHiro Wooden Canoe Shopで販売しています。