Nancy を失った日のことを書こうと思う。これまで断片的に人に話すことはあったが、誰にも明かしたことがないあの日の顛末を(こういう類のことを私はあまり書かないことにしているが、読みたくない、そんな写真見たくもないと思う方にはゴメンナサイ)。去年の今頃は夏で、木のカヤックで海へ出れば人が見て羨ましがり、これからのNancy との希望と計画に溢れ、と同時に見せびらかして自慢し褒められたい欲望、そして自分への誇らしい評価に酔っていたから。
進水式にも来てくださったご近所に住む船造りの先輩から、進水祝いとして素敵な真鍮製ホーンクリートを頂いていた。そんな理由もあり、しばらくしてから Nancy の報告に出かけ、私がおずおずと話を始めた途端、奥様は口に手を当てその眼には涙が溢れてきたが、ご主人はと言えば「半年もすれば、笑って話せるようになる」と言い放ったものだ。一瞬「この野郎!」と思いはしたが、それは正しかったし、事の次第を打ち明けられる誰かがいて良かったと痛感した。
あの日の出来事を話し、メイルし、Nancy の残骸の写真を送り付ける相手が何人もいて、それぞれに助けを求めることができたこと、いくつもの依存先があったことは、タフでない私にはありがたかった。人に頼り、自分の弱みをあらわにすることを(涙を拭かず流れるにまかせることも含めて)、この歳になってようやく躊躇しなくなった。
あのマリーナに波が上がることは予想できたから、台風21号が関東地方を襲う前日に船をマリーナの一番奥、二重ブロック塀の後ろに重し(使われていないポンツーン)を付けて避難させた。マリーナの管理者とこれで大丈夫でしょうと確認し合いその夜を過ごしたが、吹き荒れる風に家が揺れ熟睡はできず、家の前に置いたカヤックのことの方が心配だった。近くの入り江から海鳴りが聞こえた。
翌朝、Nancy の様子を見るためマリーナへ歩く途中、海沿いの道で道路標識が根元からへし折られているのを見て、押し寄せた波の大きさに驚き、歩みが速くなった。マリーナに着くと、隣の和食店の建物も壊れ、海に面し突き出した広いデッキは見るも無残に破壊されていた。そこで会った管理者から「ブロック塀が倒れちゃってねぇ」と告げられ、「私の船どうなりました?」と聞くまでもないことは直ぐに分かった。
船に縛り付けておいたポンツーン、海から一番遠いところにあったそれが海側のデッキに引っかかり、そこに折れたマストが突き刺さっていた。倒れたブロック塀へ向かう途中、ヒトデやウニが打ち揚げられていて、ブロック塀を廻ってみるとそこに船尾が見えたが、それはトランサムとスターン・バルクヘッドだけで船の形ではなかった。涙は出なかった。
周りでは和食店の人たちが片付けを始めており、大量の瓦礫と砂の処理に「自衛隊に来てもらいたい」と冗談を言っていたが、市からの回収車が来るまでに瓦礫をまとめ、搬出できるようにしておかないといけない。マリーナでもそうした作業に取り掛かっていたが、三人の従業員はいずれも私より高齢で二人は女性。昼過ぎまで私も瓦礫を運び、出入り口そばに積み上げる手伝いをし、その間にあちこちで見つけた Nancy の破片を一か所に拾い集めた。
瓦礫の多くは長く重いデッキ材で、それを運ぶ途中、とび出たコーススレッドで手のひらに長く深い傷を負いかなり出血した。店内から砂を流し出している和食店へ行き、ホースの水を傷口に当ててもらったが、あまりの痛さに「もっと弱く、弱くして」と悲鳴を上げた。
木っ端みじんとなった Nancy の残骸と、傷の痛みと流れる血だけが現実、リアルだった。Nancy でこの海面を自由に帆走することはもうできないと悟り、「Nevermore...」と鳴くオオガラスの声を聴くのは後になってのことだ。喪失感や叶わなかった夢に涙するのも後のことだし、失ったことの大きさゆえに(情けないが)廻って廻って落ちていくのも後のことだ。あの日、かけがえのない大切なもの、自分の船も人生の一部も失ったのだが、あの日、あの時、それは私にとって『最高の瞬間(哲学者M. ロウランズによる概念、最も幸福な瞬間の意ではない)』だったのだろうか?
『もっとも大切なあなたというのは、自分の幸運に乗っているときのあなたではなく、幸運が尽きてしまったときに残されたあなただ』(M. ロウランズ)
私には解らない、今でもわからない。
いずれKAZI誌に Splitsen の記事が載ることになるけれど、編集のI氏はどのような記事を構想し、ライターのM氏はどんな書き方をするのだろう?取材に来た時、Nancy の残骸を見せたし、その時の話もしたし、私が新艇製作に歩み出した訳も話したから、きっと事の顛末が書かれるんだろうな。程度の差こそあれ、このことを知っている人は多くいるし(行きつけの床屋だって知ってる)、このブログを見ている人がどれ程いるのかは分からないが(アクセス・ログなど取っていないから)、誌上に出る前に「こっちで先に書いちゃお」と。
それにしても、英国のセイルメーカー Jeckells にオーダーしたタン色セイルが、波に持っていかれ海へ帰っちゃったのは実に残念。今でもどこかに沈んでいるのだろうな。