Esperance(エスペランサ)
フリント船長の屋形船「巨象号」のモデルとなった船
Her bows were like the bows of an old-time clipper. (Ransome, Arthur. (1930) Swallows and Amazons. p.40. Cape.)
海賊の屋形船
ツバメ号の乗組員がヤマネコ島を目指し南へ航海をはじめて二番目の岬を通り過ぎると、紺色に塗られた細長い船が見えてきます。それに気を取られてジョンはあやういところでアクシデンタル・ジャイブを避けるのですが、その船には緑色のオウムがいて、ティティはあの船に乗っているのは海賊だと決めつけます。おまけに大砲まで積んでいるのですから。
不幸な行き違いで生じた気まずい関係がとけた後は、屋形船の持ち主、それはアマゾン海賊のおじさんとわかるのですが、フリント船長は子ども達と一緒に休暇を楽しみ、渡り板を歩かされ、その後も長く子ども達をたくさんの冒険へと誘ってくれます。それは現実のランサムがアルトゥニアン家の子ども達に帆走を教え、キャンプをし、ともに休暇を楽しんだ姿そのままといえます。フリント船長もランサムも立派な禿頭をしていますしね。
ランサムが見た船
ランサムがウィンダミアに住みサーガを書いていた1930年代前半に、ウィンダミア湖には「エスペランサ(Esperance)」という名の屋形船がちょうど物語の中と同じ場所、リオ(ボウネス)とロング島(ベル島)の南(Ramp Holm)に舫われていました。この船はスコット家が所有する船で、彼らは船体から時代遅れの蒸気機関を取り外して屋形船として使っていました。
建造当時の様子
そのときすでに船齢60年を越えていたこの船は、もともとHenry W.Schneider氏のために建造されました。彼は Barrow Steelworks の創業者で、ボウネス湾を見おろすヴィクトリア調の大邸宅 ベルスフィールド(Belsfield:1845年建造、初代館主は男爵夫人 Sternberg)に住み、専用桟橋から「Esperance」に乗ってお仕事に出かけました。執事が朝食を乗せた銀のトレーを持って乗船する彼の前を歩き、ご主人は金と象牙で装飾された船室で朝食をお召し上がりになったそうです。船の行き先はウィンダミア湖南端の Lake Side、そこから専用列車で Furness Railway の Lake Side支線を上り、Greenodd, Ulverston を経由して Barrow にある自分の会社に出勤したというわけです。羨ましいかぎり。
Belsfield in 1910/c残念ながら Mr. Schneider死後(The Westmorland Lakes より部分)
1869年建造のこの船は、全長約20m、全幅約3mで鉄製の船体でしたが、鉄板を継ぎ合わせるリベットの頭がゴツゴツと出ないように仕上げられていました。もちろんエンジンは蒸気機関で、2本のスクリュー・シャフトを持った当時としては最新式のものでした。
ランサムの記述にあるように鋭く細長いバウ(クリッパー・バウ、clipper bowと言います)を持っていて、この船の特徴的な外観となっていますが、これはどんな天候の時でも船に乗ったSchneider氏のために、たとえ湖に氷が張っても割って進めるように大きな角度をつけたのだそうです。
ホテルの所有船
Schneider氏の死後(1887年以降)、「Esperance」はFerry Hotelの所有となりました。アフタヌーン・ティに訪れるお客はこの船に乗って桟橋からホテルまでの船旅を楽しんだわけです。優雅ですね。
ボウネス桟橋でホテルへのお客を待つ Esperance(The West Morland Lakes より部分)
サルベージ
それから持ち主はスコット家に変わり、動かない屋形船となっていましたが、その後湖底に沈んでながらく放置されていたこの船を、1941年に地元の蒸気船愛好家T.C.Pattinson氏が引き上げに成功しました。その息子G.H.Pattinson氏(地元で造船業を営む蒸気船コレクター、彼により蒸気船博物館は1977年に開館されました)がハルを修復し、ガソリン・エンジンを据えつけ、蒸気船博物館に展示されることとなりました。
こうして現在蒸気船博物館で見ることのできる「Esperance」には(航行するときには)エンジンのための大きな煙突がついているのですが、ランサムが彼女を見かけた当時はもちろん煙突はありませんでした。「巨象号」の全体を描いたランサムのイラスト(Ransome, Arthur, (1933) Winter Holiday. p.166 挿絵 . Cape.)にも煙突は描かれてはいません。バウデッキの大砲に注目。
現在の外洋ヨットは、水線長を稼ぐためにバウ(船首)もスターン(船尾)も断ち切られたような形をしているのですが、ランサムが「昔の快速帆船のようなバウ」と形容したこの船には、かつての帆船がそなえていた優美な曲線がそのまま残っていて、「彼女」と呼ぶにふさわしい姿です。そんな彼女が生まれた1869年は、奇しくもあの快速ティ・クリッパー「Cutty Sark」が建造されたその年なのです。
グリニッジに保管展示されているカティ・サーク