ツバメ号やアマゾン号

自伝の最終章(Ransome, Arthur.(1976) The Autobiography of Arthur Ransome. p.331. Cape )、ランサムは1929年3月24日に『ツバメ号とアマゾン号』を書き始めたとあり、その構想をこんな風に記しています(I had for some time been growing intimate with a family of imaginary children. I had even sketched out the story of two boats in which my four(five including the baby) were to meet another two, Nancy and Peggy, who had sprung to life one day when sailing on Coniston, I had seen two girls playing on the lake-shore.)

ある架空の一家の子どもたち、2ハイの船。私が生み出した4人の子どもたちが別の2人の子どもたちと出会う・・・

この2ハイの船こそウォーカー家の4人の子ども達が乗るツバメ号であり、2人のアマゾン海賊が操船するアマゾン号です。


ツバメ号(the Swallow)

アマゾン号と同じくらいの全長を持ち、少し幅の広かったこの船の大きな特徴はランサムが物語の中で詳しく述べているように、センターボードをもっていないことでしょう。そのかわり15cmほどの木のキールを備えたこの船は当時としても珍しいものだったと思われますが、彼女の生い立ち-砂州が広がる浅い海で荷物を運んで帆走するために生まれた-を思えば納得できます。

She has a keel about six inches deep. - John (Ransome, Arthur.(1930) Swallows and Amazons. p.123. Cape)

The Swallow was a sailing dinghy build for sailing on a shallow estuary, where the sands were uncoverd at low tide. (Ransome, Arthur.(1930) Swallows and Amazons. p.27. Cape)

アマゾン号より一つ少ない2本のスオートしかないこの船はセンターボードを持たないこともありとても広々していて、ウォーカー家4人のツバメ達が乗り組んでも少しも狭くなかったに違いありません。作品中のランサムのイラストを基にした''ツバメ号''の想像図(右の2枚)をMr. Stuart Wierの許可を得て掲載します。(by permission of Mr. Stuart Wier and Mr. John Kohnen.)

アマゾン号(the Amazon)

その船は白い帆を持つガフ・リグで、重たい鉄のセンターボードを持ち、その船体は松材によるクリンカー張り。ニスによる塗装がされていました(Ransome, Arthur.(1930) Swallows and Amazons'. p.123. Cape)。


The Amazon was a fine little ship, with varnished pine planking. She was a much newer boat than the Swallow, of the same length, but not quite so roomy.

全長は13ftから14ft(3.96mから4.26m)、全幅はおよそ4ft(1.2m)でこれはツバメ号より1ft(30cm)ほど狭いものです。マストの長さは全長よりわずかに短いくらい。船尾と中央部そして船首部にスオートがあり、センターボード・ケースもあるためツバメ号ほどにはゆったりした感じはありません。修復され英国湖水地方ウィンダミア(Windermere)にある蒸気船博物館に展示されている彼女を見ると(蒸気船博物館は改修されアマゾン号は現在コニストンのRuskin Musiumで展示されています)、確かにすらっとした印象で小気味よい帆走ぶりが想像され、アマゾン海賊の持ち船にピッタリです。1997年に訪問したときに撮影した写真をご覧ください(写真ではペンキ塗りですが、その理由は下の実在の船で)。

書名

ランサムの『ツバメ号とアマゾン号』の原著タイトルは ”Swallows and Amazons"、「ツバメとアマゾン」つまり「(ツバメ号に乗っている)ウォーカー家の子供達と(アマゾン号に乗っている)アマゾン海賊達」の意味ですね。「ツバメとアマゾン」では何のことやらピンと来ませんから、邦訳に当たって小帆船の名前を書名にしたのは無理もないことでしょう。


実在の船

物語の中の''ツバメ号''と''アマゾン号''にはそれぞれモデルとなった実在の船がありました。実在した''メイヴィス号''は作品中ではアマゾン海賊の船''アマゾン号''となり、実在の''ツバメ号''は作品でもジョン船長の操船する''ツバメ号''となっています。

生い立ち

コニストン(Coniston)から谷を下るとそこはクレイク川河口の町グリーノッド(Greenodd)。そこからMorecambe湾をぐるりと西へまわったところにバロウ(Barrow-in-Furness)の町があり、細長い島の向こうはもうアイリッシュ海です。

1928年4月末に家族を連れてシリアのアレッポからコニストンへやってきたアーネスト・アルトゥニアン(Earnest Altounyan)はランサムと連れだって,5月6日にさっそく4人の子ども達-タキ、スージー、ティティ、ロジャ-に帆走を覚えさせるべく、この町へ2ハイのディンギー、できるだけ安全な(ひっくり返りにくい)船を捜しに出かけました。(Altounyan, Taqui.(1990) Chimes from a Wooden Bell. p.109. Tauris)

2ハイとも新艇ではなく、どちらも£15(現在の価値でおおよそ£500~£1,000)でした。熱心なセーラーだった''アーネスト''と''ランサム''は、休暇が終わってアルトゥニアン家がシリアへ帰るときには2ハイの内の1パイ(ツバメ号)をランサムがもらうと言う約束でこの出費を折半しています。

ツバメ号(the Swallow)

1パイはスージー(Susie)とロジャ(Roger)の船となり、昔からレインヘッド桟橋にあった老船の名をとってツバメ号(the Swallow)と呼ばれました。彼女はケント川(River Kent)河口の町アーンサイド(Arnside)で建造された船で、センターボードはありませんでしたが深いキールを備え、白い船体に茶色(タン)の帆を持っていました。


ツバメ号はアルトゥニアン家の子ども達お気に入りの船でした。アルトゥニアン家の帰国に先立ち、12月末にランサムは自分のものとなった彼女をウィンダミアへ運び、この時約束の£15を支払っています。ランサムはそこで彼女をレースに出艇させることもありましたが、1935年に友人のレナルドから新艇のコキー(Cocky)を譲られた彼は、ウィンダミアを離れサフォークへ引っ越す時にコキーだけを連れていき、あっさりツバメ号を売り払っています。1935年か36年に彼女はRoger Fothergillという15歳の若者の手に渡りました(購入はエージェントを通してであり、彼はランサムに会ったことはないそうです)。彼は4年ほどウィンダミア湖で帆走していたそうですがその後ケント川河口へ船を移し、1939年に保管を依頼していた造船所に船の売却を頼みます。その後、ツバメ号の行方はまったく知れません(この間の事情を記したRoger Fothergillからの手紙がMr. Stuart Wierのサイトに掲載されています)。

そのゆったりした船体に思い出(特に1928年の)を満載したツバメ号をランサムに託していったアルトゥニアン家の人々にとって、ランサムが船を売り払ってしまったことはさぞかし心痛む事だったに違いありません。ツバメ号のみならずその後の船も比較的短期間で手放し、新しい船に買い換える彼のやり方は転々と住む家を換えたことと通じるものがあるように思えます。とにかく、ランサムは海での航海を望んでいましたし、新艇を手に入れたランサムにとって古ぼけたツバメ号はあまり魅力のない船に見えてきたのかも知れません(センターボードもないし)。それに彼にとって思い出の船は30年前に帆走を覚えたあの初代ツバメ号だったということなのかも知れません。
 
さて、あのツバメ号は失われてしまいましたが、クリンカー張りのディンギーは今でも見つけることが出来ます。1998年ロンドン・ボートショーで見かけたそんな船をいくつかご紹介します。

  • まず最初は、その名もSwallow、英国Barrow Boat社がキットでも販売していた(1998年当時。今のカタログには見つかりません)GL艇(Glued Lapstrake、細長い外板を接着剤で張り付けていき外殻を形成しておりリベット留めではありません)。帆走も可能ですが、センターボードはなく用途としては手漕ぎボートでしょうか。
  • 今はなきMcNulty Boatsが建造していた本当に綺麗な9ftの本式クリンカー張りディンギーです。銅製リベットによるクリンカー張りですが、センターボートがあり小振りの船なのでロジャが乗る場所はなさそうです。McNulty Boatsを引き継いだHonnor Marine Ltd.にはこうした小型ディンギーは見つけられません。このマクナルティ・ボート製のクリンカー張りディンギー、9ftと12ftの2ハイが湘南の隅っこのビーチハウスにあるのです。まさかこれらを日本で目にするとは思いもよらなかった。

ツバメ号はファンの間では''a sort of Cult Model''(かっての所有者Roger Fothergill曰く)ですから、『これがあのツバメ号かぁ』とファンならば誰しも思いたくなりますね。1974年BBCが製作したフィルムで使われたツバメ号が2010年5月オークションに出たとき、それを落札、修復したのちファンのためにツバメ号で帆走する機会を提供してくれているのがSailing Swallowの方々です。もちろんあのツバメ号ではありませんが、クリンカー張りでセンターボードはなく、深いキールを備えたそっくりな船です。部品の形状から戦後に建造された船だと推測されているそうですが、こんな船をBBCは良くも見つけてきたもんです。写真も動画もあるので、ぜひご覧になって下さい。「コニストン湖でバンク・グラウンドを背景に帆走するツバメ号」なんてファンにとっては夢のようです。(上記のツバメ号(オリジナルではありませんが)の修復前の様子)

  • 修復されたこの''ツバメ号''の進水式はコニストン湖で挙行され、(BBCフィルムで''Titty''を演じた女優さんによって)祝福されました。

メイヴィス号(the Mavis) 

もう1パイはバロウのすぐ目と鼻の先にあるピール島(Piel Island,Peel Islandではありません)で建造されたディンギー。かつてパンジー(the Pansy)と呼ばれていたその船は白い帆を持つガフ・リグで、重たい鉄のセンターボードを備え、その細身の船体は白く塗られていました。彼女はタキ(Taqui)とティティ(Titty)の船となり、ティティの本名をとってメイヴィス号(the Mavis)と呼ばれました。

11歳と8歳の女の子にとって、鉄のセンター・ボード、大きな木製の舵それにオール、とりわけ4m近いマストはたしかに重かったことでしょう。メイヴィス号に乗っている彼女たちの写真を見ると、本当にこの子たちに操船することが可能だったのだろうかと心配になってしまうのですが、それでもタキはこう言っています。(Altounyan, Taqui, Sevens - I think that is what this talk is about. (1994, Web site of TARS, Arthur Ransome Literary Pages.))


お前たちの船だよと言われて、初めてメイヴィスに飛び乗ったときのことを私はけして忘れることはないでしょう。私の足の下でメイヴィスが揺れているのが分かりました。

 

メイヴィス号は長くアルトゥニアン家の持ち船としてコニストン湖に置かれ、特にロジャ(Roger Altounyan)が好んで帆走する船でした。メイヴィス号はハネムーンに出かけるロジャとその花嫁をピール島へと運んだのだそうです。1986年のある日タキ''(Taqui Altounyan/ Stephens)はコニストン湖の南端にあるボートハウスから船がなくなっているのに気づきました。苦労して見つけた後でロジャが彼女のために次のように書いた『彼女をそーっとしておいて・・・』と言う看板も博物館に展示されています。

ロジャの死後、船の行く末を案じた末っ子のブリジット''(Brigit Altounyan/Sanders)によってメイヴィス号は蒸気船博物館に永久貸与されることになり(2006年に蒸気船博物館は改修のため閉館されましたので、アマゾン号/MavisはコニストンにあるRuskin Musiumにて公開されているという情報がありました。そこのLatest Additionにもそう書かれています。)、注意深い修復の後1990年にブリジットによってメイヴィス号はアマゾン号と改名されました。)(Wardale, Roger. (1991) Nancy Blackett. Under sail with Arthur Ransome. p.251. Cape)

I name you Amazon. May you inspire with the spirit of adventure all those who visit you.

蒸気船博物館を訪れアマゾン号を見ると、『ナンシーとベギーはこの船に乗ってたんだ』と思ってしまうのですが、これはおかしい。自分を笑ってしまいます。