Norfolk Wherries

書かれなかった2作目で子ども達が乗るはずだった「wherry」。ピーター・ダックも普段はノーフォーク・ブローズ(The Broads)で自分の「wherry」に荷を積んで川を上り下りして暮らしていました。そして5作目の「オオバン・クラブ」では湖沼地帯で最速を誇るJim Wooddallのwherry「Sir Garnet号」に乗せてもらって、ポートとスターボードはトムたちの乗った「ティーゼル号」を追いかけるのです。

"The huge black sail climbed up and spread above them,
and the wherry, Sir Garnet, late with her tide, gathered speed
and stood away down the middle of the river" 
(Ransome, Arthur. Coot Club. p.210 (Cape, 1934))

 


この「Norfolk Wherry」と呼ばれる貨物帆船は、湖沼地帯という特殊な環境で進化してきた他では見ることのできないまったくユニークな帆船です。ノーフォークを訪ねたとき現存する数隻のうちの一隻を見かけたのですが、まったく「おどろきもものき」の船でした。

Wherrymanの誇り

「wherry」は貨物船で、たとえて言うならバージ(ハシケ、荷船)なのですが、そう呼ばれると誇り高いwherrymanは激怒するそうです。

ハシケはタグ・ボートに曳航される箱に過ぎませんが、「wherry」は狭く浅い川や沼を帆走するために進化した帆船です。ただ海へ出ることは考えられていませんので、ハルやリグの構造は外洋帆船とはまったく違うものとなっています。

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Wherryの構造

初期のものは全長7.6m、最大積載重量5トンほどでしたが、1900年ごろには全長14m、全幅4.8m、喫水(積載時)1.2m、ガフの長さ9m、積載量40トンあまりの船が普通でした。知られるかぎり最大のwherryは「Wonder of Norwich」でその全長は20m、全幅5.8m、喫水(積載時)2m、積載量83トンに達しました。

ハルはオーク材のクリンカー張り(鎧張り)で、細長い板を少しずつ重ねて張っていって微妙な船体のカーブを造っています、そのためハルはスムースな形状はしていません。 たいていのwherryは船首、船尾とも同じとがった形状をしています。船尾には実に大きな舵があり、そこから一抱えもある太い梶棒がコックピットまで伸びています。船首のマストと船尾のコックピットの間、船体のほとんどの部分は船倉で、その後部に申しわけ程度のキャビンがあります。船倉にはハッチがついていて、これを閉じた姿はハシケそのものです。

現代のヨット乗りには信じられないことですが、wherryはセンターボードもリーボード(風下側の舷側からおろす横流れ防止の板)も持っていません。そのかわり「ツバメ号」がそうだったように、深いキールを備えていて、さらに「slipping keel」がついていました。これはキールの下の取り外し可能な木のキールで、これがあると風上への帆走性能が向上しましたし、また浅い川や沼をいくときはこれをはずすと喫水を浅くできるのでした。

wherry_old.jpg船首ぎりぎりに立つ電柱ほどもある太いマストは、ファオステイで支持されているだけで、サイドステイもバックステイもありません。したがって荷重はすべてマスト基部のタバナクル(tabernacle)にかかることになりますが、これはひとえに橋をくぐるために違いありません。マスト基部には重さは2トンに達する鉄、もしくは鉛のカウンター・バラストがついていて、フォアステイを操作すれば一人でも容易にマストを倒すことができたのです。

セイルにも特徴があります。リグは典型的なガフ・リグで、セイルの上部に取り付けられたガフを持ち上げることで、帆を縦に展開しています。ただしセールの下部はブームに固定されてはおらず(loose-footed sail)、おそらくこれは降帆したときにブームが邪魔にならないようにでしょう。タールとニシン油で黒く仕上げれられた大きな一枚の黒いセイルを持ったwherryの姿は、今のヨットと比べるといかにも古くさく見えますが、でもその姿は本当に美しいものです。

この黒いセイルを引き立てるように、wherryの塗装はなかなか派手なもので、ハルとデッキはタールで塗られていますが、船倉のハッチだけは鮮やかな青、赤、緑に塗られていました。船倉の上部羽目板は白、そしてサイドデッキの縁とバウの鼻先も白く塗られていて、これは夜でも他の船からwherryであるとわかるようにでした。

Wherrymanの生活

wherrymanの多くはその職業を父親から受け継いでおり、なかにはピーター・ダックのようにヤーマス(Yarmouth)やローストフト(Lowestoft)生まれの引退した船乗りもいました。

一年中彼らは川の上にいて、wherryこそが彼らの家でした。狭いキャビンの小さなストーブで食事を作り、そこが一日の航海が終わったときに眠る場所となりました。乗組員はたいていスキッパーとメイトの二人で、その一人は奥方という場合もありました。彼らは風に恵まれれば夜も帆走を続け、向かい風や凪の時には(ディックがやったように)長い棒(quantsと呼ばれます)で船を押したのです。冬、川が氷に被われた時だけが彼らの休日でした。

ブローズの川を上るときには、上流の街で(ノリッジ、Norwichまで川をさかのぼることが出来ました)必要とされる石炭、木材を積み、帰りには街のゴミ、農産物、屋根を葺くためのアシ、港の水産施設のための氷といったものを運びました。古い写真には、デッキの上に2mもの高さに干し草を積み上げているwherryがありますが、こんな時船尾のスキッパーは前が見えないので、メイトが干し草の上に乗って方向を指示したのだそうです。

最後のWherry

ノーフォークの水運に重要な役割を果たしてきたwherryですが、道路と鉄道の発展によってその地位を奪われていきました。世紀の変わり目ころからwherryの数は減りはじめ、立派なキャビンを持つ観光船へと改装されるものもありましたし、レジャーヨットとして建造されるWherry Yachtもありました。現在ブローズで見ることのできる4ハイあまりのwherryはこうした船の生き残りです。最後に建造されたwherryは「Ella」で、彼女はコルティシャル(Coltishall、ロクサム上流の町)にあるAllen & Hunterによって1912年に建造されました。 1949年にはただ一隻のwherryも帆走していませんでした。ですからフリント船長が子ども達のために借りたwherryも観光用に改造されたものの一パイだったのでしょう(「Polly Ann」にはキャビンが四つあると書かれています)。

wherry.jpgそうした観光用wherryの1ハイがホーニングに程近い河岸に舫ってありました。

貨物帆船としての姿をとどめているWherryは、1898年建造の「Albion」ただ一パイ(残念ながら、このwherryはクリンカー張りではありません)です。1949年に設立された「Norfolk Wherry Trust」によって、この船の維持管理がなされています。

かつては多くのwherryが勢揃いして、アント川上流のBarton Broadsでレースを繰り広げたこともありました。 最後のレースは1937年のことで、その時の出走艇は「Cornucopia」「Hilda」「Despatch」のたった3ハイだけでしたし、これ以来wherryのレースが行われることはありませんでした。 マストの先端に可愛らしい「Walesの衣装を着た少女をかたどった風見」(これはそのスピードで多くのライバルを討ち負かした「Jenny Morgan」がつけていたもので、他の船もそれに倣うようになったとのこと)をつけたwherryの姿が、ブローズの川でいつまでも見られることを願わずにはおれません。

19世紀のWherryの姿

「Norfolk Broads の今昔」についてのサイトを作っていらっしゃるJon Stringer氏のサイトで、19世紀終わりに撮影された Wherry (Trading Wherry)の写真を見ることができます(写真集の出版は1886年。これらの写真を撮影したのはDr. P. H. Emersonで、人間の網膜では中心窩のみ鮮明なイメージが得られるのだから写真もそうであるべきという自身の主張に基づき、周辺がボンヤリした写真を撮っています。写真への直リンク許可してくださったMr. Jon Stringerに感謝いたします)。

ヴィクトリア時代、鉄道の発展に伴い観光客がブローズへ押し寄せるようになると、船遊びのために大きな船が必要とされ、Trading Wherry はその船倉をキャビンに改装され、観光船として使われるようになりました。そうした改装が最初に行われたのは1880年のことでしたが、もとは貨物帆船ですから、観光客のお気に召すほど綺麗で清潔と言うわけにはいかず、やがてもっぱら観光用として Wherry Yacht が建造されるようになりました。改装された Wherry(Converted Wherry) と Wherry Yacht との一番大きな違いは、「クリンカー張りかどうか」そして「帆が黒か白か」だったそうです。

クリンカー張りで、観光用に改装される前の姿をとどめている Wherry は現在1パイもありませんので、次の3枚の写真は貴重なものです。特に、修理中の Wherry の写真には大きなタバナクルも見えて、とても興味深く思えます。