帆走の日々
ランサムが帆走した船のかずかず
”ついに本当の航海をしたわ”-Titty
(Ransome, Arthur. (1937) We didn't mean to go to sea. p.151. Cape.)
1954年(70歳)に「自分の帆走の日々は終わった」ことを受け入れるその日まで、ランサムはとても熱心なセーラーだったように思われます。住んだ場所おかれた境遇にかかわらず、船を借りる、チャーターするそして所有するなどしてその帆走の日々は続きました。
「帆船」を主人公とする物語を書いているランサムなのですから船に詳しいのは当然ですが、艤装、航海術、レース、船乗りが身につけているべき態度(シーマン・シップ)など、物語では実に多くの「船のこと」が登場しています。帆走の教師としてのランサムは「小うるさい」先生でもあったようで、「ディンギーに乗っているときは船縁から手を水に浸したりしてはいけない」という彼の小言にそれは見て取れます。ただの「船遊び」ではない、だから「観光客」みたいな真似は許さないという彼の厳格(海軍的?)とも言える態度からは、帆走にかける情熱とそれが人生に占める意味が良く分かります。でも彼の前では「良い子」にしていなければならなかったアルトゥニアン家の子ども達は少し気の毒(Wardale, Roger. (1991) Nancy Blackett. under sail with Arthur Ransome. p.87. Cape.)。
第7作「海へ出るつもりじゃなかった」では、「海へ出て本当の航海がしたい」と熱望している子ども達(特にジョン)が、はからずも「鬼号」で嵐の北海を横断してしまう航海そのものが語られています。それが書かれたのは、ランサム自身が外海へ出られる船「Nancy Blackett」を手に入れたその後のことでした。
さまざまな船
ランサムがともに過ごした船と言う観点から彼の生涯を辿った Roger Wardale の本「Nancy Blackett」は、物語の読者ばかりでなくヨット乗りにとっても大変興味深いものです。そこには若いランサムが帆走を覚えた船、エストニアとラトビアでバルト海を帆走したディンギーと生涯で最初の外洋帆船「ラカンドラ(Racundra)」、また英国帰国後のディンギーとクルーザーの数々、ノーフォーク湖沼地帯(the Broads)でチャーターした船などなどが挙げられています。以下にその一部をピックアップしてみます。
ディンギー(付記した以外はランサムの持ち船)
- Jamrach;Tent LodgeのMiss. Holt所有。ランサムが帆走を覚えた船。
- Swallow;Tent LodgeのMiss. Holt所有。ランサムが帆走を覚えた船。
- Slug;バルチック海沿岸(エストニア)で乗った船。自伝に写真がある。
- Swallow I;「ツバメ号」のモデル。アルトゥニアン家のSusieとRogerが乗船。
- Mavis;「アマゾン号」のモデル。アルトゥニアン家のTaquiとTittyが乗船。
- Cochy;友人Renaldから譲られた船。「スカラブ号」のモデル。
- Swallow II;Selina Kingのテンダーとして使用。
クルーザー(ランサムの持ち船、キャビン付)
- Kittiwake;バルチック海沿岸(エストニア)で乗った船。
- Racundra;最初のクルーザー。ラトビアのリガからエストニアのリバル間の航海は『ラカンドラの最初の航海(Racundra's First Cruise, 1923)』に結実。
- Nancy Blackett;サフォーク転居後購入。「鬼号」のモデル。
- Selina King;自伝の写真(29)がこの船。
- Peter Duck
- Lottie Blossom
クリンカー張りのディンギー
物語に登場するディンギー「ツバメ号」「アマゾン号」「スカラブ号」それにランサムが帆走したディンギーはどれもクリンカー張り(鎧張り、clinker-built)です。高性能な耐水合板やエポキシなどなかった時代に、船体の微妙なカーブを出すための工法がこのクリンカー張りでした。
まずキール(竜骨)を据えて、船尾のトランサムを取り付けます(必要ならセンターボード・ケースも作りつけます)。その後下から順に10cmほどの幅の外板(マホガニー、ファー、スプルース材など)を少しづつ重ね合わせながら張っていき(planking)、カーブした船殻を作ります。外板はすぐ上の外板と金属(銅)のリベットで留めていきます。こうしてハル(船殻)ができあがると、次に内側から補強と船体形状を正確に保つために細い肋材(リブ)を20cmほどの間隔で、これまた金属の鋲で留めていきます。スオートや(必要なら)デッキを取り付けてそれでお椀のような船体の出来上がりです(Cochyの写真を参照)。このクリンカー張りの船、デコボコしていますから造波抵抗も大きく、構造上どうしても重くなりますし水も漏れます。ですから「アカ汲み」は欠かせません。でも風の弱いときにセーリングすると船底からコロコロと波を切る音が聞こえてきて、とても楽しいのです。
ガフ・リグ
子供たちの乗るディンギー、それにランサムが帆走したディンギーのほとんどのリグ(艤装、rig)はガフ・リグ(gaff rigged)あるいはラグ・リグ(lug rigged)と呼ばれるもので、一本マストに四角い一枚の帆を持っています。セールを展開する方法には横(横帆)と縦(縦帆)があり、水平のヤードからセールを下に広げるものを横帆と呼びます。これはいわゆる「帆掛け船」の形状で、昔の海賊船、練習船「日本丸」やかつてインドから希望峰まわりでお茶を運んだティー・クリッパーなどもこの艤装です。
これに対して帆を縦に展開する方法では、風上への帆走性能が格段に向上しました。その方法のひとつがガフ・リグで、セールの下部をブームに固定し上部はガフに取り付けて、ガフをマストに沿って斜め上方へ引き上げる方法です。船に飛行機の翼を立てたのと同じことになり、そのおかげで45度ほどの角度で風上へ向かってジグザグに切り上がる(間切る)ことが可能になりました。それにこのガフ・リグのディンギーではセールの揚げ降ろしが本当に簡単です。現在のディンギーは高いマストの溝(グルーブ)にセールをきっちり挟み込んで揚げているためセールを揚げるのも降ろすのも結構時間がかかります。ですから船を陸につけるときや停泊するとき、ジョンやナンシーの「降帆!」という命令は、今のディンギー乗りにとってはなじみのないものです。
子ども達の船は比較的マストが低く、船の全長よりわずかに短いくらいで、ブームもガフも短く、操船は楽だったでしょう。子ども4人がゆったり乗れる船、湖の気まぐれな風や突風に出会ってもすぐに降帆できる船、必要なときには漕ぐこともできる船。子ども達が、そしてランサムも、帆走の練習をするにはもってこいの船だったことでしょう。
本当の航海
とはいえ、やはりディンギーはディンギー、外洋へ出ていける船ではありません。湖で帆走を楽しむのにこれほどふさわしい船はないでしょうが、「いつかは海へ出るんだ("I shall be going to sea some day."-John)(Ransome, Arthur. (1930) Swallows and Amazons. p.368. Cape.)」と心に誓っている男の子にとって、そしてもちろんランサムにとっても、いつまでも満足できる船とは言えません。「海へ出られる船が欲しい、そして本当の航海をするんだ」その気持ちはジョンもランサムも同じだったに違いありません。
ランサムは1935年秋には思い出深い「ツバメ号」を売り払い、湖水地方をあとにします。そしてかつてバルト海をクルージングした「ラカンドラ(Racundra)」に続く生涯で二ハイ目のクルーザー、7トン(tonnage ; 4.86)のカッター「ナンシー・ブラケット(Nancy Blackett)」を手に入れるのです。それは1935年9月8日(日曜日)のことでした