製作者について
サセックス卿こと木村 直人
(工房 KAYAK9代表者)
アーサー・ランサムの物語に登場するツバメ号やアマゾン号みたいな船で海へ出ようと木製カヤックと木製ディンギーを自作
ヨット歴
高校ヨット部
ヨット部に入部した時、すでにA級ディンギーからFJに代わった頃でしたから、クラシックなクリンカー張りのA級ディンギーにはほんの数回しか乗ったことがありません。セーリングを教えて下さったのはF先輩で、ジブ・セールのトリムやスピンネーカーの揚げ方なんかよりまず船のバランスを取ることをみっちり教え込まれました。当時のヨット部仲間とはいまだに付き合いがあり、その一人俊ちゃんは先日の進水式にウィンド・サーフィン持ってきて伴走してくれました。
(,高校ヨット部FJ119進水式。後に係留されているのは『やまゆり』 江ノ島ヨットハーバー)
乗った船
高校ではFJ、たまにスナイプ、一度だけFINN。大学ヨット部ではもちろん470を経験しましたが、私の体格では470でレースを続けて行くにはちょいと無理がありました。退部後、高校ヨット部の練習に付き合いながら仲間とファイアーボールを手に入れ、しばらくマルチ・チャインの木造艇を楽しみました。
自分の船が欲しかったヨット仲間の誰が言い出したのか、一人乗りディンギーを自作する話が持ち上がり、モスを自作しちゃえ(購入する余裕がなかったのですね)と言うことになりました。ものを知らないヒヨッコ船乗りが二人『モスを作りたいんですけど』と海岸通り近くにあった設計事務所を訪ねたら、故横山晃氏が机の向こうから『そもそも、モス級とはね』と丁寧に船の設計図の読み方から、建造方法まで教えてくださったのを覚えています。
友人宅ガレージで3mm耐水合板で作り始めたモスですが、あとはマストを立てるだけという所まで行ったのに、大学での実験実習が忙しくなり、とうとう進水させてやることが出来ませんでした。でもこの時の経験は今でも随分と役に立っています。以来、土人としての仕事を続けながら、自分の船で海へ出たいなぁとの思いをずっと抱いてきました。
(国際モス級の図面)
そもそもの発端
10歳の誕生日にアーサー・ランサム著『シロクマ号となぞの鳥』をもらった時、まだ岩波からランサム全集は刊行されておらず、私はサーガの最終巻から読み始めたわけです。1967年にシリーズが刊行され、以来一冊一冊心待ちにしてきました。当時のお値段は600円。全集-12巻だけが欠けた-は愛読書として今でも書棚に並んでいます。
物語のお陰で上記のようにヨットに乗り始めたものの、社会人になってからはすっかり海ともヨットともご無沙汰が続きました。機会を得て英国に1年間滞在する間に、北部の湖やブローズを訪ね、実在の人物や屋敷、ローカル・ヒストリーを知るにつけ誰かに話したい気持ちが抑えられず、エディター使ってスクラッチからサイト『すべてが始まった場所』を作りました(プロバイダー変更により2005年頃閉鎖)。
2012年夏のこと、木製カヤック製作を取材にいらして記事にして下さったライターの北川原美乃さんが、記事の副題を『あこがれの物語に近づきたくて』とつけて下さいました。まさにその通りなのだと思います。
再び海で遊ぶ
長く海から遠ざかっていても、元来の海派、大型犬を飼うようになり一緒に海で遊ぶ手段を考えている時に出会ったのがカヤックでした。砂浜から手軽に海に出られ、マリーナに陸置き場所を借りなくても済むし、必要ならカートップに積んで遠征も出来る。なにより大型犬を(時には2頭)乗せて一緒に海へ出ることが可能。と言うわけで始めたカヤッキングもすでに8シーズン目となりました。
でもこのカヤック、自分の船とは言うもののイヌのオモチャと同じポリエチレン製!やっぱり船は木造だよなぁ、アマゾン号みたいな木造船に乗りたいなぁ。2012年からは昔のヨット部仲間3人と25ftのクルーザーに乗り始めましたが、クルーザーはクルーザー。二人で(時にはシングルハンドで)乗れるディンギーが欲しいなぁ。うーん自分で造ろう!カヤックが造れるんなら木製ディンギーだって可能じゃない?
ディンギーを造り、そして失う
と上記の様に記したのは前のサイトを運営していた時の事でした。
その後、2012年にディンギー建造計画を具体化し、2014年2月に木造ディンギー自作に取り掛かりました。いくつもの幸運や人からの助けーマリン合板を入手出来たり、船を陸置きするためのマリーナを紹介してもらったりーに恵まれ、2017年5月に進水式を迎え、自作木造ディンギーを Nancy と名付けました。もちろん、Miss Nancy Blackett の名前を貰ったわけです。
しかし、2017年10月23日、台風21号(名前はLan、上陸時の気圧950hPa、風速40m/s)による高潮と高波によりマリーナは壊滅、スロープから最も遠い場所に避難させていたものの、わが Nancy は(恐らく)大波に何度も巻かれたのでしょう、木っ端微塵となりました。見つけたその残骸は今でも工房にあります。
こんなことが自分の人生に起こるとは夢にも思わなかったし、これほどの高潮被害を予想した人もいなかった。誰が悪いわけでもない。ただ、Nancy を守ってやれなかった、それが可哀想でならない。
『Nancy との堅い契りは永遠に終わり、Nancy をなくした私はただ一人で、だんだん暗くなるその後の歳月のトンネルに入っていった(Farley Mowat)』
な~んてことはなく、今ではカヤックにマスト立てて帆走してるし、全く異なる構造の船も新たに造った。マアチュア・ボート・ビルダーとして今も生きています。
(2018年9月27日 追記)