ホルト家

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ホルト家

テント・ロッジ(The Tent Lodge)の住人
ミス・ホルトのつけていた日記にはランサムも登場します

テント・ロッジ

 コニストン湖の北の端、湖までの緩やかな斜面に立つテント・ロッジはアマゾン達の住まいベックフット(Beckfoot)のモデルとなった屋敷です。

 この屋敷はコニストンに沢山の不動産を持つマーシャル家(the Marshalls)が所有していたものです。Waterheadの高台に建つモンク・コニストン(Monk Coniston、1926年ポターが買い取りその後ナショナル・トラストへ寄贈)、ウォーターヘッド・ホテル(Waterhead Hotel)を建てたのも彼らですし、少し北にある美しい湖Tarn Howsのもととなった三つの湖をダムによって造成したのも彼らです。マーシャル家がテント・ロッジを所有したのは1849年のことですが、そのころ詩人テニソン(Alfred Tennyson)はここでハネムーンを過ごしています。

コニストン湖東岸に建つテント・ロッジ

ミス・ホルト

 1883年にはリバプールの船会社(Lamport and Holt Shipping Line of Liverpool)の創設者ホルト(George J.P. Holt, 1825-1896)がここを借りて夏の三ヶ月を過ごしていました。その一人娘エマ・ホルト(Emma Georgina Holt, 1862-1944)は1884年8月からここに住み、屋敷は1886年からはホルト家が所有することとなり、彼女は1944年12月19日に亡くなるまでここに住みました。この屋敷へは、ポター(Beatrix Potter/Mrs. Heelis)もお茶に来たことがその日記に記されています。

 ホルト家は大変なお金持ちだったようですし、じっさいタキ・アルトゥニアン(Taqui)の記憶によればエマ・ホルトは「富の象徴」だったと言うことです。彼女の大きな屋敷、船、おかかえ運転手付きの車、メイドに召使いに庭師。彼女の乗ったロールスロイスが行くのを見ると村の子ども達は「畏敬の目でじっと見つめた」そうです。また、ミス・ホルトがつけていたテント・ロッジの日記には1924年8月6日に「ダイムラーの新車(幌のついたごっついオープンカーですが)を買った」ことが記されています

 しかし、ホルト家の人々はとても寛大で、自分たちほど裕福でない友人や親族に家や船を気前良く貸していたのだそうです。事実、所有するもう一つの屋敷レインヘッド(Lanehead)をミス・ホルトはただでコリンウッドに貸していました。

日記

 彼女のつけていた日記には

  • 所有する船、「Swallow」と「Jamrach」のこと
  • アイヴィ(Ivy)と結婚した翌年、ランサム夫妻が赤ちゃん(Tabitha)を連れてレインヘッドに滞在していること
  • アルトゥニアンがタキとまだ赤ちゃんのスージーを連れてアレッポから来ていること
  • 数家族でピール島へピクニックに行ったこと

などなどが記されており、なかなか興味深いものです。 またアルトゥニアン家の子ども達が何年にも渡ってコニストンを訪問していて、誰かが入れ替わり立ち替わりテント・ロッジへお茶に来ている様子などもうかがい知ることができます。

遊んでいた女の子

 ミス・ホルトと親戚関係にあったスミス家のジョージナ(Georgina Rawdon-Smith)とポーリン(Pauline Rawdon-Smith)の姉妹は彼女を「Cousin Emma」と呼んでいました。この姉妹こそ、ランサムが「コニストン湖岸辺で遊んでいるのを見かけた二人の女の子*1」なのかも知れません。



*1 Ransome, Arthur. (1976). The Autobiography of Arthur Ransome. p.331. Cape.

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